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さくら・さくら・さくら

2014年3月31日 月曜日
photo by Sachiko

photo by Sachiko

またもや心のざわつく桜の季節が巡ってきました。

欧米にも桜の木はあって花も咲くというのに、日本のように国民がそろって開花を待ちわび、散りゆく花を惜しむ大イベントにならないのはどうしてでしょう?

欧米の桜は色もさまざまで、咲く時期もバラバラ、ポツンと1本だけ佇んでいることが多いらしいですが、日本の桜は並木になっていることが多くて、そのほの白いピンクの花の重なりはまさに「霞か雲か…」圧巻です。

古の歌人たちも桜を好んで詠んでいます。歌人でなくても、この時期の日本人は総じて詩人の端くれになります。どうして日本人はこんなに桜が好きなのでしょう?

暖冬だろうが厳寒の冬だろうが、桜はじっくりとつぼみを枝の先々に準備し、どんな天変地異が起ころうと春風が吹くと同時につぼみから薄紅をにじませた白い花びらを開きます。2011年の春もそうでした。桜の花は一輪ずつの個性ではなく、一本の木の枝に鈴なりに咲き誇る一群一塊の存在。やがて強風に煽られて水面の花筏となり、地面の花の絨毯となって、さーっと散っていきます。まるでマスゲームのような「桜集団」の饗宴です。

会社で頑張っているお父さん、もう決して若くはない、子育てに追われ続けたお母さん、甲子園の野球少年、受験勉強の結果の出た若者たち、長い人生を歩いてきたおじいさん、おばあさん…短い桜の一生にみんな自分を重ねあわせて花見にやってくる。

日本人は「運命論者」とひとくくりにはできませんが、自然災害の多い国で、自然の力を受け入れなければ生きていけない環境の中、日本人はたくましく、柔軟に生きていく術を身につけてきたのだと思います。一片の花ではなく、たくさんの花が寄り合って一本の桜の木になるという、「個」ではなく「集まり」の美しさ、強さが日本人の気質によく合うのかもしれません。

photo by Sachiko

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まるで隣人や友人の歓迎会を開くように、またその別れを惜しむ送別会のように、日本人は桜の木の下に集まり、酒を酌み交わし、かすかな胸の痛みを感じながら、花を仰ぎ見る。ちょっと切ないお花見。どんなにグデングデンに酔っぱらって騒いでいるおじさんでも、酔いがさめればきっと胸にかすかな痛みが…いえ、頭の痛みかな…。

 

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