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アートサロン「都市の印象派―カイユボット展」:講座ご報告(2013年11月14日)

2013年11月15日 金曜日

今回はブリヂストン美術館で開かれている「カイユボット展―都市の印象派」をソフィに案内してもらいました。まず、「Caillebotte?誰それ?」という甚だカイユボット氏には申し訳のない無知から、この美術館探訪の話は持ち上がりました。印象派は日本人によく知られた画家が多く、展覧会も印象派を持って来ればまずそこそこの来館者を動員できるというほど、愛好者が多いのですが…残念ながら美術館内も他の印象派の展覧会に比べると人が少ない印象です。ソフィという素晴らしい案内人がいたからかもしれませんが、大変興味深い展覧会でした。是非もっと多くの方に見に行ってほしいと思います。

カイユボットの生涯の詳細はここでは割愛いたしますが、簡単に触れるなら、大変裕福なブルジョワの家庭に生まれ育ち、絵画、園芸、切手収集、カヌーやヨットといった多彩な趣味を持ち、そのすべてに秀でた才能を見せたマルチタレント - 特に自身も絵を描き、当時世間からほとんど評価されていなかった印象派の画家たちを経済的に支え、彼らを現在の地位にまで引き上げた立役者。裕福だったために自身の絵を売る必要もなく、彼の死後ようやく近年になってその作品が世の中に出され再評価を受け現代に至ったということです。ソフィと見て回った展覧会、2,3回警備の方から「もう少し声を落としてください。」と注意を受けたり、ハガキサイズの紙と鉛筆を持って会場を何人もの熟女がうろうろしたり(勿論、美術館の受付でも、警備の方にも事前に許可をいただいたのですが)、いつもとは違う種類の参観者の闖入は、関係者の方々の耳目をさぞ驚かせたことでしょう!!ともあれ、ソフィ流美術展の楽しみ方をご紹介いたします。

絵の前では童心に戻れ。

好きな絵の前で、「なんだろう?」「どうして?」と疑問を持つこと。例えば入り口近くにかけられた3枚の自画像。1枚だけ帽子をかぶっている。「これは何の帽子?何をしているところ?」このソフィの質問に後ろから一人の年輩の男性が「canotage ! (ボート漕ぎ)」とフランス語でお答えになったのには恐れ入りました。ソフィも「Merci !」と答えていましたが。

肖像画のディテイルに注目せよ。

カイユボットはたくさんの友人、家族の肖像画を残しています。その背景には丹念に部屋の内部が描かれているのですが、2枚の肖像の背景だけは単色でべたに塗られています。何故?この2枚は古典的な様式で描かれていて、服装、ひげの様子、ポケットから垂れる懐中時計の金鎖、チョッキの胸元に挟まれた新聞か手紙のようなもの…すべてがこの人物のステータスを表すために描かれているのだとか。確かに生活感が全くありません。

視点を時には変えよ。

今回の展覧会のポスターにもなった「ヨーロッパ橋」の前ではいきなり床にかがまされました。画面下方中央に描かれている犬とほぼ同じ高さに目線がいきます。この犬は私たちを先導して絵の中へ入っていきます。そのまま絵の中央へ視線を移すと橋と道との織りなす対角線に気づきます。カイユボットの絵は遠近法が駆使され、線と空虚なほどの空間が特徴的です。さまざまな風景画に見られるこの空間からメランコリーを感じるとソフィは言います。確かに…。

光と影をとらえよ。

「室内ー窓辺の女性」1880年
©Private Collection

都会派と言われるのは、カイユボットがパリの近代化していく様子や、街中で働く人々、アパートの室内での家族の生活などを描いたからですが、これらの絵は全体にそこはかとない冷たさが漂っています。それに比べて、同じ外の景色でも田園の別荘やボート漕ぎなどの絵には光があふれています。後年パリを離れ郊外に移り住み、園芸やヨット作りに没頭したというカイユボットの生活は絵が表しているように幸せなものだったのでしょう。恋人ともこの時期一緒に暮らしていたそうですし。しかも大好きな園芸の作業中に肺鬱血で突然死するとは…これこそ「絵にかいたような一生」ではないでしょうか。

デッサンをせよ。                                                                                                                                                                                                                                                                                          

参観者に交じって、紙と鉛筆を持って好きな絵の前でデッサンをする、という命題がでました。全体ではなく、絵の中の一部でいいから気に入ったものを素描しろと言われても、勇気のいることです。与えられた時間は20分。あっという間のことです。しかし、ソフィの言ったことの意味はすぐわかりました。

例えば、フォークとナイフを持つ手をデッサンしてみると、漠然と見ていた時とちがって、指先の力の入り具合をどのように表現しているのかがとてもよく見えてくるのです。下手で恥ずかしいから見せたくないと言っていた方のデッサンも後半の喫茶店でのおしゃべりタイムに容赦なく公開させられましたが、驚いたことにハガキ大にクロッキー風に描かれた絵はどれもなかなかのいい雰囲気をかもしだしているのです。「私のは5歳の子供の絵と同じだから…」という方にソフィから「あら、それはピカソだわ。」と素晴らしいフォローが入ります。いざ見せていただくと、「漕ぎ手たち」のオールさばきも楽しそうな絵がかなり忠実に描かれています。一番好きな絵をデッサンしたというだけあって、楽しい雰囲気まで写せています。また「パリの通り、雨」の中のガス灯だけをデッサンした方も。ソフィいわく「これはとても重要なエレメント。このガス灯が一本の柱となって絵を左右に切り分けている」そうな。

ソフィから教わった絵の楽しみ方はまだたくさんありますが、要は好きな絵を見つけて、それをいろいろな視点で眺めてみる、そして「なんだろう?」と想像力をたくましくして絵の中で遊ぶことでしょうか。ソフィは自分の子供さんを美術館に連れて行くと、今日のように一緒にデッサンしたり、「何だろう」ごっこをして楽しむのだそうです。子供のときからそのように絵画と親しんでいけたら、感性豊かな人間に育つことでしょうね。ただ、日本の美術館は余りに雰囲気が厳粛すぎて、今日の私達大人が少々声高に話しただけでお叱りを受けるのですから、果たして子供を歓迎してもらえるのかどうか、子どもが絵を楽しむ土壌が日本に育っているかどうかがちょっと気になるところではありますが。

 

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