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灯り

2013年2月16日 土曜日

「すみませんが、ちょっと暗すぎて本の字がよく読めないんです…。先生にもっと部屋を明るくしてほしいと言っても失礼じゃないでしょうか?」ある日、フランス語会話のレッスンをとっている日本人マダムKから電話がはいりました。マダムKの話によると、リビングのソファでレッスンを受けているが、ただでさえ広いリビングのよりによって窓から遠い奥の場所にソファがあって、昼間だというのに薄暗くて、老眼もあり教科書の字が読みづらいのだとか。本当は懐中電灯でも持っていきたいくらいなのだとこぼしておられる。「遠慮なく部屋をもっと明るくしてもらうよう頼んで大丈夫です。」と申し上げたところ、後日再び電話があって、「先生、どこからかコーナ―用の電気スタンドをもってきてくださったけれど、たいして明るくなくて…でも悪いから我慢します…。」とご報告がありました。
この反対の例が、フランス人の生徒。学校の教室は(日本ではどこでも同じですが)蛍光灯の光が天井から降り注ぎ、影ひとつない明るさの中で勉強します。「明るすぎる」と時々クレームをつけられてしまいます。瞳の色が薄い欧米人は強い光が苦手だという話も聞いたことがありますが…。確かに夏ともなると彼らは一様にサングラスをかけて外出しますね。顔を隠すためとかおしゃれのためにサングラスをする日本人とは違って、(勿論、目を保護するためにかけている方もいらっしゃいますが)本当に必要なのでしょうね。
室内の照明も日本と欧米ではかなり雰囲気が異なります。暗いところで本などを読むと目が悪くなるとかで、日本の家庭の夜の照明は天井から部屋の隅々までくまなく照らし、真昼並みの明るさです。一方、フランス人の家ではほとんど間接照明しか使いません。夜になると、壁に取り付けられたランプやコーナースタンドなどが灯ります。部屋の中には丸い小さな光の輪がいくつかできて、その光の周辺から段々外へと闇のグラデーションが広がっていきます。日本の家の照明が主に白色か明るいオレンジ系の色であるのに対して、欧米の灯りは深みのある暖色が好まれているようです。煌々と電灯が昼間のようについていると、つい仕事の残りをやってしまったり、翌日のことを考えてしまったりと、頭の中は常に覚醒状態のままで休まりません。ドアを開けた途端、薄暗い部屋の小さな灯りの輪が出迎えてくれるなら、「戦意喪失」ですね。
それから夜といえばフランス人はよくsoirée(夜のパーティー)をします。普段、ジーパンとTシャツにスッピンのフランス人マダムたちも、こういうときはお化粧をして、ドレスアップして現れます。まさに一世一代の晴れ姿。でも悲しいかな、蛍光灯の下ではどんなに頑張っても寄る年波を隠せるはずもなく、化粧のりの悪い肌、深いしわ、シミそばかす、およそ女性の大敵と思われるありとあらゆる老いのしるしがあらわになります。ところが、間接照明のリビングでは、まるでフィルターをかけられたように、淑女のお顔が「ウスラボンヤリ」としか見えず、どなた様もなかなかにお美しいのです。谷崎潤一郎も「陰影礼賛」の中で言っています。「美は…物体と物体との作り出す陰影のあや、明暗にある…われわれの祖先は、女というものを蒔絵や螺鈿の器と同じく、闇とは切っても切れないものとして、出来るだけ全体を闇へ沈めてしまうようにし、…ある一か所、首だけを際立たせるようにしたのである。」みんなが幸せを感じられるためにも「薄暗い灯り」はいかがでしょう?このご時世ですから節電にもなりますし…。

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